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大阪地方裁判所 昭和56年(ワ)4695号 判決 1985年8月30日

原告

酒井清美

原告

高橋馨

原告

高橋潤

右原告高橋潤法定代理人親権者母

酒井清美

右原告ら訴訟代理人

角銅立身

津田聰夫

右訴訟復代理人

青野秀治

被告

日本生命保険相互会社

右代表者

弘世現

右訴訟代理人

三宅一夫

入江正信

坂本秀文

山下孝之

竹内隆夫

杉山義丈

長谷川宅司

右訴訟復代理人

吉川哲朗

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告らの請求の趣旨

(一)  被告は原告酒井清美に対し、一億五二九〇万円及び内一億三九〇〇万円に対する昭和五六年三月一七日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

(二)  被告は原告高橋馨及び同高橋潤に対し、各一一五五万円及び内一〇五〇万円に対する昭和五六年三月一七日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

(三)  訴訟費用は被告の負担とする。

(四)  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する被告の答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  原告らの請求原因

(一)  生命保険契約の締結

酒井隆は、被告との間で、以下のとおり酒井隆を被保険者とする生命保険契約(以下「本件保険契約」という。)を締結した。

(1) 契約日 昭和五二年五月二四日

保険証券番号 (五五〇)第一六九三八一号

死亡保険金額 七五〇〇万円

保険金受取人 原告酒井清美(以下「原告清美」という。)

(2) 契約日 昭和五四年二月二〇日

保険証券番号 (二二〇)第七九三二五〇号〇号

死亡保険金額 三五〇〇万円

保険金受取人 原告清美四割、原告高橋馨三割、原告高橋潤三割

(3) 契約日 昭和五四年五月二九日

保険証券番号 (〇六〇)第二五六三九一七号

死亡保険金額 二五〇〇万円

保険金受取人 原告清美

(4) 契約日 昭和五四年七月二四日

保険証券番号 (〇六〇)第二七二〇一七三号

死亡保険金額 二五〇〇万円

保険金受取人 原告清美

(二)  保険事故の発生

酒井隆は、昭和五六年一月二八日に死亡した。

(三)  弁護士費用

被告は、本件訴訟の提起前に、原告らから本件保険契約に基づく本件死亡保険金の支払請求を受けた際、保険事故の発生したことを争わないにもかかわらず、理由なく本件死亡保険金の支払を拒絶したが、右は不法行為に該当する。

そこで、原告らは、やむなく本件訴訟を原告ら訴訟代理人に委任し、死亡保険金額の各一割を報酬として支払う旨約し、原告清美は一三九〇万円、同馨、同潤は各一〇五万円相当の損害を被つた。

(四)  結論

よつて、原告らは被告に対し、本件保険契約に基づき以下のとおりの生命保険金及びこれに対する被保険者の死亡の後の日である昭和五六年三月一七日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金並びに不法行為に基づく損害賠償請求権に基づき以下のとおりの弁護士費用相当損害金の支払を求める。

(1) 原告清美に対し、生命保険金計一億三九〇〇万円、弁護士費用一三九〇万円、合計一億五二九〇万円

(2) 原告高橋馨、同高橋潤に対し、それぞれ生命保険金一〇五〇万円、弁護士費用一〇五万円、合計各一一五五万円

二  請求原因に対する被告の認否

(一)  請求原因第(一)、(二)項の事実は認める。

(二)  同第(三)項の事実は否認する。

(三)  同第(四)項の主張は争う。

三  被告の抗弁

(一)  本件保険事故発生の経過

(1) 原告清美の夫であり、原告馨、同潤の実父である酒井隆は、昭和四八年福山通運株式会社を退社し、同年三月より炉端焼店「和」の経営を始め、その後同店を活魚料理店に衣替えし、更に保冷庫を購入して酒井水産の商号で鮮魚の仕入卸売を始め、昭和五四年一一月ころ右酒井水産を法人化して有限会社酒井水産(以下「酒井水産」という。)とし、自ら代表取締役社長となり、昭和五五年一一月ころよりスナック「みち子」をも経営するようになつた。

しかしながら、酒井水産は、その経営が必らずしも順調とはいえず、昭和五五年二月に従業員の起した交通事故による損害賠償金の負担、同年三月に北九州市中央卸売市場の売買参加人資格の取消、更に同年の冷夏等の影響による営業不振が重なり、同年一〇月に手形の不渡りにより倒産したが、酒井水産及び酒井隆の負債の合計額は、約二億八〇〇〇万円に達していた。

これとは別に、酒井隆及び原告清美は、昭和四八年四月から昭和五五年九月までの間、被告との間で、本件保険契約四件を含め二一件の生命保険契約を締結し、その保険金総額は災害保険が三億六六〇〇万円、死亡保険が五億一三〇〇万円、満期保険が一億三九〇〇万円に達していた。

(2) 酒井隆は、酒井水産の経営が不振で多額の債務を負つていたため、生命保険金を詐取することを計画し、昭和五五年九月二二日ころ、同人の弟で酒井水産の従業員であつた梅田強を交通事故に偽装して生命保険金を詐取しようとして、同人を自動車でひき殺そうと図つたが失敗し、更に、同年九月末ころ、酒井隆の実兄である酒井勲を前回同様交通事故に偽装して生命保険を詐取しようとしたが失敗した。

このようにして酒井隆は、多額の負債を抱え、資金繰りに行詰つたため、自己が被保険者である生命保険金の詐取を図ることを考慮するに至つた。

(3) そこで、酒井隆は、昭和五六年一月一三日ころ、自ら焼死ないしは海中に自動車もろとも落下して死亡し、生命保険金を取得しようと考え、原告清美らに相談したが反対されたため、自分に似た男を殺害し、酒井隆が死亡したかのように装つて生命保険金を詐取しようと決意し、原告清美及び中村豊子(以下「豊子」という。)と共謀の上、酒井隆の替え玉を殺害して生命保険金を詐取することとなつた。

酒井隆は、昭和五六年一月二一日、若松競艇場において替え玉となる被害者森下隆基と知りあい、豊子とともに、同夜、右森下に暴行を加えた上、同人を自動車に乗せたまま佐賀県東松浦郡備前町の海中に落下させて同人を溺死させ、原告清美及び豊子は、右森下を酒井隆であると偽り葬儀まで終えた。

(4) しかし、原告清美は、同月二六日ころより、所轄警察署の担当係官から事情聴取を受け、同月二八日、死体が隆以外の第三者であることを供述し、指紋照合によりその事実が確認されたため、替え玉殺人を自供した。酒井隆は、犯行が明らかとなつたため、同日午後七時四二分ころ、下関市の山陽本線新下関駅の下り線六番ホームから進行してくる普通電車に飛びこんで即死した。

(二)  保険契約の善意性

保険契約は、本質的に当事者の一方又は双方の契約上の給付が偶然な事実によつて決定される射倖契約である。

従つて、偶然による不労の利得そのものを目的とする賭博的行為に悪用され、公序良俗違反の行為に堕する危険を有し、さらに国民経済的に不利益を生ぜしめるような事態を加入者側が誘発させ、または放任する危険が内在し、また、問題となる事実の偶然性ないし不可測性より相手のおかれた不利な地位に不当に乗じたり、自己のおかれた有利な地位を不当に利用したりする危険が存するので、契約当事者には非常に大きい特別の信義誠実と善意が要請されるのである。

(三)  保険金支払義務の不存在

(1) 公序良俗違反による本件保険契約の無効

本件保険契約の保険契約者である酒井隆は、前記のとおり、自己の経営する酒井水産の経営破綻に伴う負債の返済を図るため、生命保険金の詐取を計画し、実の兄弟の殺害を図り、それに失敗するや、自己が被保険者である本件保険契約について保険金取得を目的とする自殺を計画し、更には、原告清美らと共謀の上、替え玉の殺害による保険事故を仮装して保険金詐取を図り、替え玉として森下隆基を殺害したものである。

酒井隆の右行為は、生命保険契約の射倖契約性を利用して不法かつ不労の利得を得ようとするもので、本件保険契約を賭博の用に供し、または保険金取得のため犯罪行為を企図し実行したことにより、本件保険契約自体が公序良俗に違反し無効となつた。

(2) 危険の著増による本件保険契約の失効

本件保険契約者である酒井隆が、昭和五六年一月一三日に本件保険契約に基づく保険金を取得するため、自殺あるいは替え玉殺人によつて保険事故を仮想しようと意図したことにより、本件保険契約について、保険事故発生の蓋然性またはこれに影響を及ぼす事情が著増し、右事実が判明しておれば被告において保険を引受けなかつたことが明らかであるから、商法六八三条、六六四条、六五六条により、本件保険契約は、昭和五六年一月一三日に失効した。

なお、本件保険契約において、約款で「被保険者が保険契約の継続中にどのような業務に従事し、またはどこに転居もしくは旅行しても、会社は、保険契約を解除せず、また特別保険料を請求しないで保険契約上の責任を負います。」と定めているが、右約定は、保険契約者の故意による不正な保険金取得の意図の発生という道徳危険の増加による契約の失効まで排除するものではない。

(3) 重大事由による特別解約

生命保険契約は、継続的契約であり、しかも前記のとおり射倖契約たる性質に基づく善意性が特に要請されるから、民法六二八条、六五一条、六七八条の規定、あるいは、賃貸借契約における信頼関係破壊を理由とする無催告解除の判例理論の趣旨を類推して、当事者に契約の継続を期待することができないやむをえない事由がある時には、特別の解約権が認められるべきである。

保険契約者である酒井隆の前記行為は、やむをえない事由に該当することが明らかである。

被告は昭和五六年一月二八日午後六時三〇分からのテレビニュースによつてはじめて右解約権の発生事由たる替え玉殺人を知つたのであり、その後、同日午後七時四二分に被保険者酒井隆が自殺したため、保険事故発生前に解約権を行使することが不可能になつた。このような場合には、民法一三〇条の規定の類推により保険契約者酒井隆の故意行為としての自殺で解約の効力が発生したとみなすべきである。そうでないとしても、本件のような場合、保険事故発生後も解約は可能であると解すべきところ、被告は昭和五七年六月九日の本件口頭弁論期日において、本件保険契約を解約する旨の意思表示をした。

(4) 被保険者の自殺による免責

被保険者が自殺した場合には、保険者は商法六八〇条一項一号により、保険金支払義務を免責される。もつとも、本件保険契約においては、約款で責任開始日から一年以内の被保険者の自殺のみを免責事由としている。しかし、そもそも商法の被保険者の自殺による免責規定は、保険契約が前記のとおり射倖契約であることに基づき当事者の信義誠実の原則に反することと、被保険者の事故招致により保険金を支払うことが公序良俗に反することにより定められたものであり、右根拠からすれば、被保険者の自殺により保険者に保険金を支払わせることが公序良俗に反する場合には、右約款の条項は無効となると解すべきである。

酒井隆は、前記のとおり保険金取得の目的で一旦は自殺を決意したものの、原告清美らに反対されたため替え玉殺人に計画を変更し、結局保険金詐取に失敗して自殺したのであるから保険金取得の目的と自殺との間には強い因果関係があるというべきである。このような場合、右約款の条項は公序良俗に反し無効と解すべきである。

(5) 権利の濫用ないし信義誠実の原則違反による免責

保険契約者である酒井隆の前記行為は、本件保険契約を不法かつ不当に利用したものであり、信義誠実の原則に反するものである。被保険者酒井隆は、前記のとおり、右保険金取得のための替え玉殺人が発覚したため自殺したのである。このように信義誠実の原則に反する保険契約者であり被保険者である酒井隆の自殺によつて発生した本件保険事故について、保険金受取人である原告らが、右自殺に伴なう保険金支払請求を行使することは、権利の濫用ないし信義誠実の原則により許されない。

原告清美は、前記のとおり酒井隆による替え玉殺人事件の共謀者あるいは積極的関与者であるから、自ら本件保険契約による利益を享受することは権利の濫用ないし信義誠実の原則により許されない。

四  抗弁に対する原告らの認否及び主張

(一)  第(一)項の事実のうち、酒井隆が自ら死亡したかのように装つて生命保険金を詐取しようと考え、昭和五六年一月二一日、森下隆基に暴行を加えた上、同人を自動車に乗せたまま佐賀県東松浦郡備前町の海中に落下させて同人を溺死させたこと、事故の知らせを受けた原告清美は、隆の生存を知りながら死体を隆として葬儀をすませたこと、同月二八日、警察の事情聴取を受けた原告清美が死体は隆以外の第三者であることを供述し、指紋照合によりその事実が確認されたこと、酒井隆は、同日午後七時すぎに新下関駅において飛び込み自殺を遂げたことは認め、その余の事実は否認する。

第(二)、第(三)項の主張は争う。

(二)  一般条項の適用について

保険契約の射倖契約性から特に当事者に善意性が要求されるとしても、このような性質はすでに商法の保険についての規定及び保険約款に具現され保険契約の内容となつているのであつて、生命保険契約が独占的に事業を行う保険事業者と事実上契約締結の自由を失つた大衆との契約であり、保険事業者が作成した約款を内容とすることからすれば、商法及び保険約款に具現化された以上の一般条項を契約解釈に持ち込むことは許されない。

従つて、被告の公序良俗違反、特別解約権の行使、権利の濫用もしくは信義誠実の原則の主張はいずれも失当である。

(三)  危険の著増による保険契約の失効について

生命保険契約における「危険」とは、被保険者の死亡という保険事故を具体的に招来する危険であるが、本件保険契約においては、約款で「被保険者が保険契約の継続中にどのような業務に従事し、またはどこに転居もしくは旅行しても会社は保険契約を解除せず、また特別保険料を請求しないで保険契約上の責任を負います。」と定められており、また、死亡への直接かつ具体的行動である被保険者の自殺についても、約款で一年経過後は免責を受けないことを約していることからすれば、本件保険契約において、商法六五六条の適用は排除されていると解すべきである。

第三  当事者の提出、援用した証拠<省略>

理由

一酒井隆が被告との間で本件保険契約を締結したこと、酒井隆が昭和五六年一月二八日に死亡したことは当事者間に争いがない。

二そこで、被告の抗弁について検討する。

(一)  まず、本件保険事故発生の経過について判断する。

<証拠>を総合すれば、以下の事実を認めることができ、他に以下の認定に反する証拠はない。

(1)  原告清美の夫であり、原告高橋馨、同高橋潤の実父である酒井隆は、昭和四八年福山通運株式会社を退社し、同年三月より炉端焼店「和」の経営を始め、その後同店を活魚料理店に衣替えし、更に保冷庫を購入して酒井水産の商号で仕入卸売を始め、昭和五四年一一月ころ、右酒井水産を法人化し、有限会社酒井水産とし、自ら代表取締役社長となり、昭和五六年一一月ころよりスナック「みち子」をも経営するようになつた。豊子は、右隆の愛人として右「和」に勤務しながら、右隆に酒井水産の経営資金を融資するなどして協力し、原告清美は、右隆の妻として、酒井水産の事務所である同人の肩書住居地の自宅で隆と従業員と共に取引先との連絡等を行なつていた。

酒井水産は、昭和五五年二月ころ、従業員が交通事故を起こし、多額の損害賠償金の支払いを余儀なくされた上、更に同年夏が冷夏のため魚の仕入れが思うに任せず、資金繰りに窮し、同年末には隆及び酒井水産の債務は二億八〇〇〇万円を超えるに至つていた。

酒井隆及び原告清美は、資金の借入れの担保とするなどのため、昭和四八年四月から昭和五五年九月までの間、被告との間で、自己を被保険者とする多額の生命保険に加入していた。

(2)  酒井隆は、昭和五六年一月ころ、酒井水産の経営が不振で多額の債務を負つていたため、交通事故を装つて自殺することにより、同人の加入していた生命保険の保険金を取得し、これによつて多額の債務を返済しようと考え、保険金受取人を税金上有利な原告清美名義に変更し、新たに生命保険に加入するなどの準備を進めたが結局自殺することができなかつた。

(3)  そこで、酒井隆は、昭和五六年一月ころ、自己に似た第三者を身代りに殺害し、自己が死亡したかのように装つて生命保険金を詐取することを考えるようになり、同月一二日及び一三日、スナック「みち子」において、右考えを豊子及び原告清美に話し、協力を求めた。一方、酒井隆は、同月一五日、犯行後の隠れ家として福岡県福岡市西区愛宕二丁目一二番一〇号所在のパール岡本五〇二号室を賃借し、その後数日にわたり、身代りとする者を福岡競艇場、飯塚オートレース場、若松ボートレース場などへ豊子を連れて探しに行き、更に身代りの者を交通事故を装つて殺害した後の帰りの足にするため、原告清美にレンタカーの準備をさせた。

酒井隆は、同月二一日午後四時ころ、同県北九州市若松区赤岩町一三番一号所在の北九州市営若松ボートレース場で、たまたま観覧にきていた森下隆基(当時四六歳)に声をかけ、話をしたことから同人を自己の身代りに殺害しようと決意し、同人を福岡市西区姪の浜にある同人の居宅まで送つて行こうと誘い出し、隆が運転し、豊子が同乗する豊子所有の普通乗用自動車に森下を乗車させたうえ、準備されたレンタカーの駐車してある隆の自宅に赴いた。酒井隆は、自宅からそのまま右普通乗用自動車に森下を乗せたまま運転し、豊子は、右レンタカーを運転してこれを追尾して、途中、隆、豊子及び森下が飲食店で食事を共にした際、隆と豊子との間に森下殺害の共謀が成立し、北九州道路及び九州自動車道を経て国道二〇二号線を走行して福岡市西区に至つた。

酒井隆は、同日午後一〇時ころ、同区今津四八〇七番地一〇三上野国夫方北西約三〇〇メートルにある玄海国定公園海岸史跡元寇防塁碑前付近において、予め用意していたタオル及び細紐で助手席に同乗していた右森下の頸部を背後から締めつけ、車外に転げ出た同人の頭部、顔面等を野球用金属バットやコンクリートブロック片で数回殴打するなどの暴行を加え、同人に前額部、左右眼角部裂傷、頭蓋骨骨折等の傷害を負わせて意識不明に陥らせた。酒井隆と豊子は、森下を隆の身代りとして交通事故に見せかけて殺害するため、森下を更に右普通乗用自動車のトランク内に押し込み、佐賀県東松浦郡肥前町大字星賀八二一番地一付近の農場に至り、右両名が右森下の衣服を隆の衣服に着せ替えて同人を同車の運転席に乗車させ、同月二二日午前零時三〇分ころ、同町大字星賀乙九六九番地一九樋口ミツエ方前の星賀港岸壁において、同人を右自動車もろとも右岸壁先の海中に転落、水没させて同人を溺死させた。(但し、酒井隆が自ら死亡したかのように装つて生命保険金を詐取しようと考え、昭和五六年一月二一日、森下隆基に暴行を加えた上、同人を自動車に乗せたまま佐賀県東松浦郡備前町の海中に落下させて同人を溺死させたさせたことは当事者の間に争いがない。)

(4)  原告清美は、前記のとおり昭和五六年一月一二、一三日ころ、夫隆から、同人が多額の借金を抱え酒井水産の資金繰りに窮した末、第三者を自己の身代りに殺害して自己を被保険者とする生命保険金を詐取しようと考えていることを打ち明けられ、協力を求められた。原告清美は、同月一五日午後八時三〇分ころ、隆が自宅から前記パール岡本五〇二号室に荷物を運び入れるに際し、右犯行後、隆の隠れ住む場所として賃借したものであることを知りながら、同人に同道し荷物を運び入れを手伝い、更に隆の依頼により、同月一九日午後一一時ころ及び同月二〇日午後三時ころの二回にわたり、隆が右犯行の帰りの足に使用する意図を有することを知りながら、弟である高橋道夫の妻広美に対し、レンタカーの借用方を頼み、レンタカーの準備をさせ、同日午後六時三〇分ころ、隆に右レンタカーの鍵を引き渡した。

(5)  原告清美及び豊子は、右事故の知らせを受け、その後隆から連絡があつたため、隆の生存を知つたが、同月二二日午前八時ころ、所轄警察署において右森下の遺体を隆の遺体として確認し、そのまま同月二三日葬儀をすませた。

原告清美は、同月二五日ころから所轄警察署の担当係官から事情聴取を受け、同月二八日午後一時すぎころ死体が隆以外の第三者であることを供述し、指紋照合によりその事実が確認された。

所轄警察署担当係官は、同日午後五時五五分、替え玉殺人が明らかとなつたとして記者会見を行なつた。

酒井隆は、犯行が明らかとなつたことが決定的原因となつて、同日午後七時四二分、国鉄山陽本線新下関駅六番ホームから進行してくる普通電車に飛び込んで即死した。(但し、本件事故の知らせを受けた原告清美は、隆の生存を知りながら、死体を隆として葬儀をすませたこと、同月二八日に警察の事情聴取を受けた原告清美は、死体は隆以外の第三者であることを供述し、指紋照合によりその事実が確認されたこと、酒井隆が、右同日午後七時すぎに新下関駅において飛び込み自殺を遂げたことは当事者間に争いがない。)

(二)  次に、右事実を前提に、被告の主張する重大事由による特別解約の抗弁の当否について検討する。

(1)  まず、解約権の有無について判断する。

(イ) 生命保険契約は、本質的に当事者の一方又は双方の契約上の給付が偶然な事実によつて決定される射倖契約であるため、第一に、偶然による不労の利得そのものを目的とする賭博的行為に悪用されたり、公序良俗違反の行為に堕する危険を有し、さらに国民経済的に不利益を生ぜしめるような事態を加入者側が誘発させ、または放任する危険が内在しており、第二に、問題となる事実の偶然性ないし不可測性により相手のおかれた不利な地位に不当に乗じたり、自己のおかれた有利な地位を不当に利用したりする危険が存するのであつて、公正ないし公益維持の原則と、信義誠実の原則の適用がことに要請されているものということができる。

したがつて、生命保険契約において、商法或いは保険約款に規定がなくても、その契約本来の特質から、保険契約者が保険金の取得を意図して故意に保険事故の発生を仮装するなど、生命保険契約に基づいて信義則上要求される義務に違反し、信頼関係を裏切って保険契約関係の継続を著しく困難ならしめるような不信行為をしたような場合には、保険者は債務不履行を理由に催告を要せず生命保険契約を将来に向かつて解除することができるものと解するのが相当である。

(ロ) これを本件についてみると、前記認定のとおり、本件保険契約者であり被保険者である酒井隆は、自己に似た第三者を身代りに殺害し、自己が死亡したかのように装て生命保険金を詐取することを企て、昭和五六年一月一二日及び一三日に原告清美及び豊子にその旨を話して協力を求め、同月二二日午前零時三〇分ころ、右の計画通り、自己の身代わりとして森下隆基を殺害したが、同月二八日午後五時五五分ころ右犯行が明らかとなつたことが決定的原因となつて、同日午後七時四二分ころ自殺したというのである。

このような酒井隆による保険金詐取を目的とした替え玉殺人及び右犯行の発覚を決定的原因とする酒井隆の自殺という一連の行為は、商法が保険者の免責事由として規定している商法六八〇条一項二号あるいは三号に匹敵する行為ともいうべきものである。したがつて、保険契約者であり被保険者である酒井隆が替え玉殺人を犯しながら、右犯行を決定的原因として自殺したからといつて、保険金を入手できるとすることは公益上好ましくなく、信義誠実の原則にも反するものというべきであり、自殺という事実によつて替え玉殺人という公益違反、信義則違反の事実が払拭されて消滅し、保険金支払義務を肯定するに足りる条件を具備するに至つたものとは到底考えることができない。このことは、右一連の行為が保険契約者の行為に基づくものである以上、保険金受取人が右一連の行為に関与しているかどうかにかかわらないものというべきである。又、右一連の行為は保険の特性である保険事故の偶然性の要求にも合わないものということができる。

したがつて、酒井隆の一連の行為は、生命保険契約に基づいて信義則上保険契約者に要求される義務に違反し、信頼関係を裏切つて保険契約関係の継続を著しく困難ならしめる行為にあたると解するのが相当である。してみれば、保険者である被告に本件保険契約の解除権が発生したものということができる。

(2)  次に解除の意思表示の効力の有無について判断する。

被告が昭和五七年六月九日の本件口頭弁論期日において、本件保険契約を解約する旨の意思表示をしたことは当裁判所に顕著である。被告の右意思表示は、直接的には、重大事由による特別解約権に基づく解約の意思表示であるが、以後本件保険契約を一切やめるという趣旨の意思表示であると解するのが相当であるから、特別解約権以外の理由によつては解約しないことが明らかにされているなどの特段の事情の認められない本件においては、同時に債務不履行を原因とする解除の意思表示としての効力を有すると解すべきである。

(3)  そうすると、昭和五七年六月九日をもつて本件保険金支払義務を免れるというべきである。

三よつて、原告らの本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官福永政彦 裁判官森 宏司 裁判官神山隆一)

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